映画を見るのにあまり予備知識を入れていかない質なので、今回もほぼ予備知識なしで映画館に突入。あまり細かいことを頭に入れてしまうと先入観が邪魔して映画そのものを楽しめなくなるような。今回はある程度のあらすじぐらいは、と読んではみたものの、出演者が誰とか監督が誰、と言うのは気にしない。見たのは「ミッキー17」。
使い捨て労働者「エクスペンタブル」の悲哀

この映画は小説「ミッキー7」を原作に制作された。全体的にはコミカルな部分も見られる一方で、ちょっと悲しいところもある。この作品の監督は「パラサイト 半地下の家族」でアカデミー賞を受賞したポン・ジュノ。そのためか「半地下」同様に作品全体に下層民の暗いものを感じさせる。
地球ではパッとしない政治家が地球外の新天地で自らの王国を気づくためにクローン人間(映画では記憶も含めて元データからコピー機で作られる人間)を作ってその人間が何度も生き返ることを前提に、新天地で危険な業務や人体への影響を調べる、という。クローンの対象となった人物はエクスペンタブル(使い捨て)労働者と言われ、主人公ミッキーは高利貸から逃れるために契約内容を深く理解しないままエクスペンタブルとなることを了解。その17番目に生き返ったミッキーと18番目に生き返ったミッキーが同時に存在するという「あってはならない状況」から展開していく。
ミッキーと彼をコピーし続ける支配者の関係は「半地下」同様に搾取するものとされる者の悲哀みたいなものを感じずにはいられない。また主人公の17番目のミッキーは不器用ながら誠実な人物。一方18番目のミッキーは少し狡賢い。同じ原本からコピーされている人物のはずなのに考え方や行動パターンにずいぶんと違う。世渡り上手と世渡り下手の双方を表しているようで面白い。面白いと言っては不謹慎かもしれないけど。
続編があってもいいかも
この映画に関するレビューでよくみられるのが「ブラック企業」「社畜」などという言葉。まあ、確かにそうとも言えなくもないが、個人的にはどちらかと言うとクローン人間の映画が良くテーマにする「オリジナルとはなにか」というテーマの方が印象に残る。実際、話の展開としては17番目と18番目のミッキーが中心でオリジナルのミッキーはとっくの昔に死んでいる。ただ今回のクローンは記憶も含めてコピーされているので過去、16回の「死に際」も記憶に残っていることになる。つまりは全く新たに生まれ変わっているのではなく、永遠に生き続けていると言ってもいいような状況になる。このあたりがこれまでのクローン人間モノとは少し違う気がする。つまりはコピー機がある限り、永遠の命を手に入れることか。

ゴリゴリのSF映画というわけでもなく、また生物に対する倫理観みたいなものの映画でもない。なんとなく中途半端なところもあるが映画全体としては重苦しいところが無いだけにわりと気軽に(?)楽しめる作品だと思う。この続編を作ろうと思えば作れる展開。そうなったらまた面白い展開も期待できそう。
